用の美

“用の美”という言葉があります。ただ鑑賞するためだけの美ではなくて、普段使っているからこそ、その美しさが光る、といった意味だと思います。

たとえば茶道具なんかがそうですよね。確かに茶碗はそれ一つでも造形的な美しさはありますが、茶筅やお釜など、茶会の中で使われてこそ、その独特の美しさが出てくる…。まさに“用の美”の世界です。

和のアイテムには、そんな“用の美”が多いと思います。先ほどの茶碗もそうですし、お櫃やお箸もそう。それらは芸術家の仕事ではなくて、職人たちの仕事です。しかし、その職人たちのセンスとこだわりによって、その道具そのものの美しさが表現される。絵画などのように、作家名を明記することは少ないものの、彼らは自らの仕事にプライドをもって日々精進しているに違いありません。

そしてかつての日本人の多くは、その何気ない道具の中に「美」を発見していたのかもしれません。作り手のセンスとこだわり、そして使い手のセンスと審美眼があって、はじめて和アイテムの“用の美”が完成するのかもしれませんね。
posted by mog525 at 00:00 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。