金よりも銀!?

アクセサリーの材料としては金やプラチナ、そして銀がありますが、私はその中でも銀が好きです。

金やプラチナは確かに銀よりも高級だし、銀のように酸化して黒く変色しません。見た目の華やかさも銀は負けているかもしれませんね。

しかし、銀には伝統と重厚感があると思うのです。銀はヨーロッパの王侯貴族の間では、かつて金よりも愛された歴史があります。それだけにさまざまなアクセサリーや食器などが制作されています。それに決して派手ではありませんが、落ち着いた輝きがあります。酸化した黒ずみでさえ、それは“味”となり、自分が愛着をもって使い込んだ歴史を感じることができるのです。革製品が使い込むほどに味わいのある色味になっていくように、銀は使い込むほどに味わいのある色合いになっていきます。

それはあるいは日本の“侘び”や“寂び”に通じるところがあるかもしれません。日本の根付けなどのアクセサリーや、能面などは、わざわざ最初から使い古されたような工夫をする場合があります。真新しいきれいなものは、味気ないと感じるのです。

そういう楽しみ方ができるのは銀だけだと思うのですが…。

私の御贔屓の銀製品のネットショップです。
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posted by mog525 at 15:14 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

本当に“和”が見直されている?

“和”が見直されているといいます。確かにそれはうれしいことですが、「それホント?」って疑いたくなってきます。

伝統工芸の展示会などに行っても、人もまばらで来ている人は中高年の方がほとんど(しかも女性が多いですね)。見直されているなら、もっと若い人がたくさん来ていてもおかしくないのに…

だいたい「密かなブーム」とか「今、見直されている」とか言われる場合、「そうあってほしい」とか「注目させたい」という思惑があってのことがほとんどじゃないでしょうか。そういう私自身も、そいう思惑をもっているわけなんですが(^^;

文化って別に純血である必要はないと思っています。さまざまな人の交流があって、文化も異なるもの同士が溶け合って、また新しい文化が誕生するのだと思います。

でも、そこには男女関係の微妙なかけひきみたいなものも存在しますよね。好きになったほうが負けとか、どうしても二人の関係の中で優劣が出てしまう。

文化も同じで、文化の担い手である人々が、しっかりとした文化観を持っていないで融合してしまうと、そのいいところまで無くなった形で一緒になってしまう。それは融合ではなく、会社で言えば吸収合併みたいなものなんですね。

だから私は“和”や“日本”にこだわりたいと思っています。それは私のアイデンティティに違いないのですから。
posted by mog525 at 17:28 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

京都の“和”、江戸の“和”

“和”といえば、どうしても京都というのがブランドのようです。とにかく日本で千年余りの歴史があり、町並みも古き良き日本の風情がたくさん残っています。

東京の近代的な通りを着物を着て歩くと何か違和感がありますが、京都ならしっくりくる。雑貨ひとつでも和柄が似合うのは、京都の町並みです。

しかし、現代の“和”のイメージを作ってきたのは、実は江戸時代という考え方もあります。確かに江戸時代は、たかだか何百年前と京都には並ぶべくもありませんが、それだけに、現代にまで伝わる“日本らしさ”は、江戸時代に作られたものが多いのではないでしょうか。

たとえば、欧米の人が日本らしさを感じる美人画は江戸時代の浮世絵であったり、日本食の代表といわれる寿司や天ぷらも、今日の形は、江戸時代につくられました。

それに江戸は職人の町でしたから、工芸品にも優れた物が多い。いい意味でも悪い意味でも頑固だった江戸っ子の職人は、こと物作りに関しても非常に頑固で、非常に優れた工芸品を多く造り出しています。

京都が“はんなり”なら、江戸は“粋”ということでしょうか。
posted by mog525 at 00:00 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

街の中の“和”美術館

私は美術館が好きです。有名な画家の特別展なんかもいいですが、できれば平日、しかも常設展に行きたい。それは作品を鑑賞することはもちろんですが、その鑑賞している空気感が好きなんですね。しんとした展示室内に、運良く一人きりになれたときは最高です。その作品と自分だけの空間がいいんですね。

しかし、美術と接するのは美術館だけとは限りません。街のなかにもたくさんの美術品があります。たとえばふと通りがかったお寺や神社の門構えの意匠が素晴らしかったり、庭先の風鈴が美しかったりすると、それだけでうれしくなってきます。

日本の街は、今や観光地にでも行かない限り、すっかり西洋の街並みと変わらなくなっていますが、それでも、ところどころに“和”を発見したりします。

そういうテーマをもって街を歩いていると、いくらでも新しい発見があると思います。

街の中で“自分だけの和の美術館”を発見する…こういうのも楽しみのひとつではないでしょうか。
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江戸の粋と伝統工芸

江戸の文化を表す言葉として“粋(いき)”があります。同じ字を書いて関西では“粋(すい)”というのだそうですが、“粋(いき)”とは生活に必要なものだけではなく、どこか心の余裕というか、遊び心があるもののことを言うようです。(ちなみに“粋(すい)”のほうは、もう少し円熟した楽しみのことをいうようですが…)

江戸は武士の町であると同時に、職人の町でもあると言われています。それは大阪が商人の町と呼ばれたのに、対比する意味でもあったのでしょうが、実際、町作りも、江戸城を中心とした武士の居住地域、そして、やがて町が南に広がるにつれ、庶民の文化が花開いていったのだと思われます。

それはまさに職人の文化でした。「宵越しの銭は持たねぇ」なんて“いき”がってみせるのも、職人の心意気ですよね。

職人の作る物は、あくまで工芸品であって美術品ではありません。観賞用でなくて生活用品。生活用品であるからには、それ用の機能がきちんと備わっていないといけない。でも、そこに“粋(いき)”が入って、ちょっとした遊び心、美術品に負けないくらいの美意識の高い物、そういう物を作り上げて来たのが江戸の職人たちでした。

切子、漆器、銀器など、代々伝わる江戸伝統の知恵と技を受け継ぎ、 頑固一途に本物にこだわる職人たちの作り出す工芸品は、緻密でありながら、合理的であり、遊び心に溢れた逸品がそろっています。それは伝統を受け継ぎながらも、たえまぬ工夫を続けるからこそ、成り立つ世界だからではないでしょうか。そして使う側から言えば、使えば使うほど味が出る美しさ、愛着が湧く美しさ、そういう美しさがこれらの工芸品に備わっているのだと思います。
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これも“和”?看板建築

「看板建築」といっても、何のことか分からない方も多くいらっしゃることでしょう。そういう建築形式が東京を中心に発達した時期があったのです。「あった」と過去形なのは、今ではどんどんその姿を消しているからですが、2、3階建ての木造商店建築で、正面だけまるで看板を立てかけたように平面のファサード(建築物の正面の外観)がある建物のことです。中は住居、そして表で商売をされている商店に多くこの形式が見られました。

これがなかなか味があるのですね。ひとつにはファサードが平面ということがあり、それをキャンバスにまるで絵を描くようにさまざまな看板デザインが見られました。本屋さんなら本のマーク、傘屋さんなら傘のマーク、中には商売とはあまり関係なさそうなギリシャ神話の女神の像がレリーフとして刻まれていたり…。街の職人さんが作ったものですから、決して洗練されているとはいいがたいものがあるのですが、それだけに生活の香りがしながらも奇抜で看板としての機能を充分に果たすものでした。それは職人さんの心意気を充分に感じるもので、今日のキレイキレイの誰が作ったか分からないような建築物とは、まるで違うものだと思います。

時代と共にこれらの建築は消えつつあります。有名なデザイナーが建てた歴史的建築物なら保存運動も起きるでしょうが、これらの建築のほとんどは消えてなくなってしまうことでしょう。しかし、「文化」が人々の生活の生きた証とすれば、こういう建築物もどこかに保存しておくべきだと思います。“世界文化遺産”のように大げさにしなくても、どこかにひっそりとでも…。
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谷根千

私の家は、東京の文京区白山というところにあるのですが、いわゆる「谷根千」(谷中・根津・千駄木)の近くで、ぼんやり歩いていても、いろいろ昔ながらの日本的なものに出会う機会が多いのです。たとえば、谷中を歩いていて、ふと立ち寄った「喫茶ギャラリー木楽庵」などでは、伝統工芸の「江戸指物」の展示があったり、昔の商家がそのまま残してあって、急にタイムスリップしたような気分になったり…。

自分の住む街に、そういう新しい出会いがうれしいですよね。「谷根千」でなくても、案外身近に歴史的な場所があったり、おいしいお店を発見するかもしれません。散歩なんてする時間がないという方でも、普段の帰り道を少し変えてみるとか、急ぎ足を少しゆっくり歩いてみるとかで、新鮮な目で我が街を見ることができると思うのですがいかがでしょうか。

谷根千を散策するなら、ズバリ『谷根千』という地域情報誌もあります。地元の本屋さんには置いていますので、買ってみるのもいいでしょう(2009年春には出版終了とのことですが)。
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和モダン

“和モダン”という言葉があるのだそうです。つまり、日本の伝統的なものと、欧米のモダンなスタイルのコラボレーションとでもいいましょうか。

建築や和雑貨の世界によく使われているようですね。住む場所というのは、どうしてもリラックスしたいわけですから、いくら欧米風が合理的で便利だといっても、伝統的な様式がよかったりします。それに欧米の便利が加わるとなおいいわけです。

和雑貨もそうです。いつも身近に置いておきたい物は、和がよかったりする。しかも若い人にとっては和は新鮮な感覚で捉えられている節もあります。

そういえば、外国の方は、和雑貨をまったく別の用途に使ったりしていますよね。先入観がないから自由な発想を持てるのでしょう。日本人にはない発見があって、「なるほど〜」なんて感心したりします。

いずれにしても、和が見直されるのはいいことです。しかしファッションとしてではなく、和の心まで受け継いでくれると、なおいいのですが…。
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普段使いの“和”

“和”や“和風”というと、何やら古めかしいイメージもあるのですが、逆に現代の若者にとっては、新鮮なものとして、受け入れられている面もあるんだそうですね。お父さんお母さん世代にとって日本風なものというのは、小さな頃から慣れ親しんだものでありますが、若い人たちにとっては、小さな頃から西洋の文化に多く触れているわけですから、かえって“和”が新鮮に映るようです。

そこで、モダンな和というか、生活の中に和のテイストをとりいれることが、“新しい”ということになっているだとか…。

そういうことを提案した本の一つに『ちょこっと和のある暮らしがなんだかとってもワクワクする!』(金子由紀子著・すばる舎刊)があります。この本を読んでいると、生活のあらゆる面で、和を見直し取り入れることによって、癒しがあったり、逆に刺激があったり、なかなか面白い発見がありました。

たとえば、風呂敷や手ぬぐい。こんなシンプルな布きれなのに、使い道は非常に広い。風呂敷はスーパーのレジ袋の代わりに使えるし、手ぬぐいは、ターバンやハンカチにも…。それに、物を包むだけの布に、これほど美しい素材とデザインを与えた国はないのだとか。まさに日本の職人さんたちの美意識の賜ですよね。そういう普段使いのものにさえ、美しい物にしてしまう、日本人のセンスの良さを感じます。
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用の美

“用の美”という言葉があります。ただ鑑賞するためだけの美ではなくて、普段使っているからこそ、その美しさが光る、といった意味だと思います。

たとえば茶道具なんかがそうですよね。確かに茶碗はそれ一つでも造形的な美しさはありますが、茶筅やお釜など、茶会の中で使われてこそ、その独特の美しさが出てくる…。まさに“用の美”の世界です。

和のアイテムには、そんな“用の美”が多いと思います。先ほどの茶碗もそうですし、お櫃やお箸もそう。それらは芸術家の仕事ではなくて、職人たちの仕事です。しかし、その職人たちのセンスとこだわりによって、その道具そのものの美しさが表現される。絵画などのように、作家名を明記することは少ないものの、彼らは自らの仕事にプライドをもって日々精進しているに違いありません。

そしてかつての日本人の多くは、その何気ない道具の中に「美」を発見していたのかもしれません。作り手のセンスとこだわり、そして使い手のセンスと審美眼があって、はじめて和アイテムの“用の美”が完成するのかもしれませんね。
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